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“立ち上がれ!!ニッポンの半導体ベンチャー”
特別インタビュー/ザインエレクトロニクス(株)社長 飯塚哲哉氏に聞く

ファブレスのシステムLSIで急成長!!
グループ全体で100億円展望、早期に株式上場
技術者に必要なのは「夢とロマン」だ!!
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ザインエレクトロニクス(株)
飯塚哲哉 社長


 ザインエレクトロニクス(株)(東京都中央区日本橋大伝馬町3-2 秀和第二日本橋本町ビル八階、〒103-0011、Tel.03-5641-0666)は、“ニッポン半導体ベンチャー”を代表する企業として、最近内外の注目を集めている。同社は1991年5月に資本金3200万円で設立され、その後サムスン電子との合弁会社を設立する一方、台湾にも現地法人を設立、98年5月には2億3000万円に増資した。売り上げはグループ全体を含めて100億円近くまで来ており、今後も急上昇が見込まれている。システムLSIを効率的に設計する独自のノウハウを確立しており、いわゆるファブレスメーカーとして、そのブランドを定着させていく考えだ。同社の代表取締役社長の飯塚哲哉氏に話をうかがってみた。

 −−飯塚さんは東芝に長く在籍し、いわゆるスピンアウトで半導体ベンチャーを創業したわけですが、この間の経緯は。
 飯塚 私は茨城県土浦の出身で、東京大学物理工学に進み、田中昭二先生の教えを仰いだ。大学院では電子工学を専攻、菅野卓雄先生の教えを仰いだ。日本を代表する半導体の超一流の学者に接することができたことは幸運だった。東芝には16年間在籍した。集積回路事業部でメモリー設計、アナログ/ロジックのミックスドシグナルの設計に携わった。80年代後半から90年代初めの日本の半導体全盛期を体験したが、「このままでいいのか」という思いが強かった。
 −−そこで91年に東芝からスピンアウトし、半導体設計ベンチャー、ザインエレクトロニクスを創業するわけですが、ここで目指す最大のものは。
 飯塚 それは何といっても「日本人技術者の開放」ということにつきる。技術のシーズを米国に強く依存する日本のこれまでのシステムは、明らかに制度疲労を起こしている。とりわけ技術者にとっては苦痛の度は増すばかりで、一言でいえば、「夢とロマン」がない。実際、東芝にいた時にも、ラムバスやMIPSなどの米国のベンチャーと一緒に仕事をしたが、彼らがうらやましくて仕方がなかった。日本の技術者は大企業の中で安定することはできても、巨大な富、名のある成功、世界に広がるビッグプロジェクトとは無縁と思えてならない。私は、東芝において花形ポストといわれる半導体技術研究所の開発部長の任にあったが、こうした鬱屈感が独立を呼び込んだといえよう。
 −−ザインという社名はどこからつけたのですか。
 飯塚 出資してくれた人の頭文字をうまく並べ合わせたところ「ザイン」(THINE)となったが、これはシェイクスピア劇に出てくる古い英語で、「あなたのもの」という意味になる。あなたのものはみんなのもの、ということで、go public(上場する)というイメージを持ち、この会社の哲学にふさわしい名前だ。
 −−ザインが手掛けた初めての仕事は。
 飯塚 米国ヒューレット・パッカード、韓国サムスン電子のOEMによる半導体設計だ。ここで地歩を築き、その後、松下、NEC、ソニー、日立、三洋など、日本を代表する大手メーカーや韓国の三大メーカーなどから仕事を頂き、軌道に乗った。
 −−韓国、台湾への進出も果たされますね。
 飯塚 92年6月にサムスン電子との合弁会社を設立した(資本金3000万円)。95年9月には、台湾ザイン社を1億6800万円の資本金で設立、これは台湾の光友グループの協力を仰いだ。この台湾ザイン社はまさに爆発的成長を遂げており、昨年の年商が25億円、今年は80億円に達するだろう。
 −−当初はOEMの設計委託が多かったようですが、その後自社ブランドを中心にしていくわけですね。
 飯塚 受託開発からスタートしたが、その後台湾のファンドリーを活用して、“自社ブランド”のシステムLSIを提供するファブレスメーカーに事業拡大していった。特に93年当時は、台湾のTSMCが頭角を現わしてきた時期で、私はその時点で日本にもファブレスの時代がくると予感していた。また一方で、シリコンファンドリーが全盛となることも予想していた。半導体はいまや国際分業の時代であり、製品企画、設計、前工程、後工程、テスト出荷などがすべて異なる国、異なる企業が手掛ける、という時代に突入している。これは、スピードとコストの問題であり、その意味では、いわゆる巨艦型の日本のシステムは時代に合わない。
 −−国内の売り上げ状況は。
 飯塚 97年は2億円であったが、98年は3倍の6億円に拡大する。特に、LCDパネルメーカーに自社ブランドのチップセットを提供しており、これが月間百数十万個のオーダーになっている。最近の製品では、液晶モニター用アナログRGBレシーバーを一チップに集積したLSIを開発、出力は1600×1200画素表示に対応しており、回路設計が楽になるため好評だ。サンプル出荷はこの秋口から、量産出荷は11月ごろになるだろう。
 −−最近、ヤマハ、川崎製鉄、ジャフコなどから2億円の出資を引き出したそうですね。
 飯塚 ありがたいことに、ザインのシステムLSIの回路設計能力を高く評価して頂いたおかげだ。台湾法人の売り上げと合わせれば、すでに100億円近くまで展望できるところまで来ている。6年後には経常利益60億円が目標で、当然のことながら、できるだけ早期の株式公開を目指したい。すでに私達に先立ち、メガチップスが株式上場を果たしており、それに続きたい。また、私達以外にも多くの新鋭ベンチャーが出てこようとしている。この人達が、日本の半導体の歴史を変えていくだろう。私は声を大にして“立ちあがれ!!ニッポンの半導体ベンチャー”といいたい。
 −−ニッポン半導体の危機が叫ばれていますが、飯塚さんの御意見は。
 飯塚 危機的状況ではあるが、日本人の持つ潜在能力はまだまだ大きい。教育程度も高く、スピリッツもある。ないのはやはり「夢とロマン」だ。自由な環境で設計し、製品企画を立て、工場管理、販売などを自ら立ち上げていく喜びを知るべきだ。ザインには、大手メーカーには見られない「夢とロマン」がある。若い人達の中にも、かつての私のように鬱屈した思いの人がいるはずだ。そうした人はぜひザインの門を叩いてもらいたい。
(聞き手=本紙編集長・泉谷 渉)

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